中部銀次郎 1942年(昭和17年)山口県下関生まれ 甲南大学卒。
60年18才で日本アマ初出場。62年初優勝。以後64,66,67,74,78年と17年にわたり通算6勝という空前絶後の偉業を達成した。
67年には西日本オープンでプロを斥け優勝、他にも数々のアマタイトルを手中にしている。
2001年12月14日、惜しまれつつ亡くなった。
(以上は、本の著者略歴より転載。)
戦争中に生まれている。学生時代に前日本アマゴルフ大会に出場出来るほどの腕前であったということは、経済的に恵まれた家庭であった。
この本は44話からなっている。
第22話「親と子、そしてゴルフ」で、父親 中部利三郎が息子に残したいくつかの言葉を紹介している。
「他人の迷惑になるな」
「スコアが悪いからといって、不貞腐れるな」
「ミスショットをして、クラブを放り投げるような奴は家に帰れ」
こんな父親に育てられた彼は、ゴルフに真摯に取り組むことの大切さを学んだ。
私自身、膝が痛くなって、ゴルフができなくなる恐怖に向き合っていた時に読んだので、各話が心に鋭く突き刺さりました。
話は漫画で構成されていますが、「中部語録スペシャル」は文章で綴られています。
「上達を阻むもの、要するに虚栄」
「悔やんでもスコアがよくなるか」
「遊びのゴルフだからと甘えていないか」
「自分の実力を過大評価していないか」
「心の有り様をおろそかにしていないか」
この本を読んでいて、昔、クラブチャンピョンとあるコンペで一緒にプレイした時のことを思い出しました。
彼のボールは、フェアウエーをとらえ、アイアンはピンを目指して飛んでいく。
殆ど、ミスショットは無いように見えた。
私は、そんな彼に「そういうゴルフの楽しみって何ですか?」と質問したのです。
私レベルでは、真芯に当たったボールが遠くまで飛んでいく快感やまぐれで入ったバーディが楽しみだったのでつい聞いてしまったでした。
答えは、「スコアを作ること」でした。
その時は、意味を理解することはできませんでした。
中部銀次郎がこの本で言いたいことも、同じです。スコアを作るとはカッコいいパーを取ることではないと繰り返し書いています。
クラチャンとプレイした前半は、飛ばしてやろうとしてました。スコアは43、彼は35。
前半の最後で、オーナーになる権利を取れました。
そこから、飛ばしよりもパーを目指すゴルフに変わったのでした。結果、一度もオーナーを渡すこともなく9ホールを終了。スコアは36、彼は37で私の1打勝ちでした。
36は、私の生涯自己ベストです。
その後、数年間が私のゴルフの黄金期でした。80台前半、時々70台。
今はどうか?というと、スコアを泥臭く作ることを忘れてました。
飛ばして、パーオンツーパットを目指していました。
膝が治り、来春、またゴルフができたら、スコアを作るための練習をします。
現在は、とにかくパットの練習をしています。
「エイジシュートを目指して」の連載は続けていきます。
膝の痛みを知り、中部銀次郎の本に出合えたことは、エイジシュート達成の大きな収穫になるかもしれません。
②技の巻 に続く
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