囲碁

読む碁(7) 昭和囲碁風雲録(下) 中山 典之 七段 著

著者の中山六段は2010年2月16日に脳梗塞で77才で死去。 追贈七段。
ということで表題も七段にしました。

下巻は呉清源、藤沢庫之助十番碁から始まりました。

下巻に入ると筆者は先輩から聞く話ではなく、自分自身が囲碁界にいたわけで、より臨場感が増しました。

著者は事務能力も抜群で、名記録係だったのでした。10年間に1000局とありました。
1年で100局とは、3日に1局とはすごいことです。

記録係は、対局が始まってから終わるまで盤側の机に座って、着手から残り時間まで記録し、さらに対局者からの「あと何分?」にも即座に答えなければならない大変なお仕事なのであります。
以前は一人でしたが、ある事件を境に2人になったそうです。

重要な対局には、著者はご指名で呼ばれたとのことでした。

ここで読売名人戦の初代名人が誕生する最終対局の場面を本から抜粋する。
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昭和37年8月5日。 リーグ戦は最終局を迎えてクライマックスに達していた。

中略

呉・坂田局の立会人は藤沢朋斎九段、記録係中山典之初段。
秀行・昌二局の立会人は瀬越憲作名誉九段、記録係福井正明初段だった。

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記録係福井正明初段。 この福井正明初段、現在九段の先生は、私が初めてプロ棋士に教えて頂いた先生だったのでした。

その時のブログ。👈クリックすると読むことができます。

日本棋院や関西棋院の収入は新聞社主催のタイトル戦のスポンサー料になります。

新聞社と棋院とのスポンサー料をめぐる争いなど、人間模様が現地からの報道のように生生しく描かれています。

最後に、囲碁の歴史の中で碁聖とは、江戸時代の道策、呉清源と趙治勲を挙げたいと書いています。

趙治勲、私も大好きな棋士です。 息子が子供の頃、近くで行われたタイトル戦の前夜祭で、趙治勲先生と写真を撮ってもらい、サインまで頂きました。

 

この本で凄いのは、「いろは歌」です。本からの抜粋です。

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終章 棋士が詠んだイロハ歌一千首

イロハ歌は千年も昔の平安時代中期に作られた「今様」であるが、その美しい五七調の調べは、明治までは日本語のアルファベットとして用い愛誦されてきた、あの有名な、
色は匂へど 散りぬるを…….. の47文字である。

この日本語の表音文字、仮名の47音、または48音の全てを一度だけ用いる歌を作ってみたものの、立派に意味の通る歌を作ることに成功した例は稀で、200年昔の本居宣長に1首、明治になってから万朝報が公募した時の優勝作「鳥啼き歌」の2例がまずまずの作と申せようか。

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著者はイロハ歌を1000首作ったのだそうです。信じられない程、凄いことです。

この本では、その中の、いろは…. で始まる47首、しかも囲碁が読み込んであるものが掲載されています。

 

著者の本は2冊本棚に見つけたのですが、またまたアマゾンの古本を注文してしましました。 数日中に届くが楽しみです。

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