稀勢の里について書かれた本
ブックオフでない本屋で見つけてしまった本です。
紙も厚く、ページ数が少ないのは分かりながら、つい買ってしまいました。
先代の親方(横綱 隆の里)のことも詳しく調べられていてとても良かったです。
このブログで相撲について書くのは初めてだと思いますので、少し私の相撲歴を紹介します。
目次
栃若時代
私は小学2年生頃で、ブロマイドを集めていて、ノートに貼っていました。
当時はラジオで相撲中継を聞いていました。
今でも覚えているキャッチフレーズ。
「立浪四天王」 若羽黒、北の洋、安念山、時津山。
「褐色の弾丸」房錦。
「潜航艇」岩風。
「もろ差し」鶴ヶ峰、信夫山。
「内掛け」琴ケ浜。
「仏壇返し」若乃花。
「突っ張り」千代の山。
「ぶちかまし」松登。
「荒法師」玉の海
横綱は”千代の山”、”吉葉山”、”鏡里”、”栃錦”で、”若乃花”は大関でした。
私は若乃花の大ファンで、負けると泣きそうになっていました。
速攻の力士に弱く、”北の洋”に負けていたのを覚えています。
その後、横綱になりました。
柏鵬時代
横綱”柏戸”と横綱”大鵬”の時代で、巨人大鵬卵焼きと呼ばれ強さの代表でした。
中学生の時、相撲巡業が私の住んでいた町にもやってきて、大鵬見たさに旅館の隣の家の屋根に登って見たことがあります。
その時、大鵬も気が付いて「危ないから降りなさい」と注意されました。
田舎だったので、テレビで見るような有名人を見た最初だったのではないかと思います。
北の湖時代
強かった、憎らしいほど強かった。
その後、横綱”千代の富士”が出てきましたが、八百長問題が噴出して、私も興味を失くしてしまいました。
若貴兄弟
世の中の人気はありましたが、私はあまり興味がありませんでした。
モンゴル時代
これはまだ続いていますが、稀勢の里がたった一人で対抗できるところまで来たのに、あの大怪我で引退に追い込まれてしまいました。